多様性の時代のジュエリー

多様性の時代の現代は意識に変化が生まれて
その垣根がなくなってきたとも言えます。

それまでの価値観やとらわれが緩んできて、
ある意味滑らかな時代なのかもしれません。

ジュエリーの世界では、1つの価値観
ずっと住み分けができていました。
簡単に言えば価値のあるものがジュエリーです。 

K18.22.24、プラチナの貴金属と、silver925
ダイヤモンドやルビーやサファイア、
エメラルド、アレキサンドライトが貴石。

これらを使う宝飾品が
ジュエリーだと認識されています。
ファインジュエリーとも言います。

宝石でもトルマリン、パパラチア、オパール、
ラピスラズリ、ターコイズなどの
次に希少価値の高いものは
半貴石といいその扱いはライトジュエリー。
(ファッションジュエリー)

よく使われる天然石のビーズなどは
歴史を汲む「ジュエリー」のくくりには入りません。
宝飾に詳しい方ほどそのくくりは厳しいです。

ハンドメイドで作られるビーズ的なものは
ほとんが”ジュエリー”ではなくアクセサリーになります。

 

私は「ジュエリー」の普遍的な価値は
絶対的にあると思うしそれはもう不可侵ですが、
時代とともに少し滑らかに考えてもいいかな、
と思ったりします。

アクセサリーとは身の回りの小物のこと

アクセサリーは日本語で装飾品、
ハンドバッグ、ベルト、時計、スカーフ、
キーホルダーとネックレス、
ブレスレット、イヤリング、
指輪などざっくりと「身を飾るもの」を呼びます。

その中で装身具がネックレス、ブレスレット、
イヤリング、指輪。

さらにその中で
ジュエリーとそうでないものとが分かれます。

図で表すとこんな感じです。
(社団法人 日本ジュエリー協会より)
左はアメリカの認識、右は日本です。

これまで日本の装身具の中では
アクセサリー(イミテーション)と
ジュエリーが二分されてきました。

ジュエリーの歴史は
文化の証だからTPOは守ろう

古代から宝石と親しんできた国々では装身具に
”格”というものが存在してきましたし、
ジュエリーを着けることは
どこか当たり前の価値観でした。

ですが、日本の装身具の一般的な歴史は
第二次世界大戦後からですから
まだ70年ちょっとのことです。

西洋では(インド、イスラム圏も)
王という頂点から貴族、有力市民まで
ジュエリーはステイタスでもありました。
ダイヤやルビー、サファイア、エメラルドは
各国の王室の王冠に使われています。

今でも伝統としてそこは大事ですので
ジュエリーの格としてのTPOは
きちんと押さえなければ大人とはいえない。
エレガントとは言えない。

TPOに合わせてその席の格が高く、
価値に重きを置く場面では
やはりファインジュエリーやライトジュエリーを
身につけることが
相手への気遣いとなり
自分の格を上げることになります。

それをわかって敢えて常識を覆す、
またはそのファインジュエリーの枠ではなくても
その装身具自体が一定の価値を持ち
その場にふさわしいものである
とわかっているのと知らないで臨むのとは
全くちがいます。

ジュエリーとされるものは
歴史的背景の中で愛されてきました。
でも、時代とともにその価値感だけでなく
ファッションとも結びつくようになりました。

コスチュームジュエリー

ココ・シャネルはジュエリーとイミテーションと
されるものの中間になる
コスチュームジュエリーを提案しました。
日常的にジュエリーを使うシーンを
作ってくれた先駆者です。

それまでの夜会ドレスのジュエリーではなく、
シャネルの提案する市井の女性の仕事着や
お出かけを華やかに彩るパールは
本物ではありませんでしたが、
女性たちを魅了しました。

”ジュエリー”でなくてもいいじゃない、
って感じですよね。

20世紀の初め、
この頃はいろんな意味で世の中に変化が訪れ、
そこから100年経ち、世の中は変貌を遂げました。

古き価値観のジュエリーはありますが、
ココ・シャネルのコスチュームジュエリーは
ファッションと伴って
新しい価値を生み出して今も進化しています。

 

曖昧な日本語の「アクセサリー」

アクセサリーとは装飾品のことで
装身具のジュエリー」も含まれますが、
本来宝石や貴金属でできていないものは
ジュエリーとは呼びません、アクササリーです。

日本では、アクセサリーとジュエリーが曖昧。
一度認識した上でその言葉を使っていく方が
装いの幅が広がると思います。

ジュエリーは価値の高い素材でできており、
着ける人にも相応の価値を求めます。

 

でも、多様性の時代のジュエリーは
生活様式や価値観から
貴石や半貴石だけではなくなり、
日常にとけ込み、コステュームとの関わりも
強くなり、素材だけではない魅力を
伝えています。

アクセサリーだけどジュエリーぽい、
でもジュエリーではない、
自分と向き合うジュエリー

今は様々な価値感の中で、
様々ないいところを取り入れて
より良い時代に合ったものがベストだと思います。

どんなに高価なものを着けていても
その人を引き立てていなかったら
着ける意味はあるのでしょうか。
ジュエリーだけが目立ってしまったら
自分は居ないも同然、

逆に高いお値段のダイヤでも
それが埋もれて目立たなかったら着ける意味はない。

ジュエリーとアクセサリーの役割

洋服や自分と向き合うことでわかる
ジュエリー選びは、
もしかしたら深い話かもしれません。

似合っていて着ける時にウキウキとして
「今日もいいことが有りそう」と
鏡の中で微笑んだら、
そのジュエリーはきっとうれしいと思います。

「これを着けると顔が明るくなる。
目くらまし?なんだかきれいに見える気がする」
ということもあるかもしれません。
そうなると、まさに真剣勝負の選択です。

もしかしたら、そんなジュエリーを着けていた日に
運命的な出会いがあるかもしれません!

次に伝えていけるもの

それに次の世代へと受け継がれるものは
高価なジュエリーだけではありません。
ビンテージのパーツのものは
21世紀には作られていないものもあるのです

 

身近なアクセサリーとジュエリーの狭間にあるもの、
アクセサリーとジュエリーの違いを
わかった上で楽しむのは
21世紀の楽しみ方かもしれません。
敢えて言うなら、
洋服の選びやジュエリーの選びは
その人の人生でもあります。

だからアクセサリーでもジュエリーでも
呼び名はなんでもいいと思うのでありますが、
その場に合って自分にも合ったもので
周りを明るく照らせて、
少しでも楽しく前向きな今日を照らす、
それが
ジュエリーの役割のように思います。

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