いにしえをたどろう

 

【はじめに】

日本はいにしえのある時代からすっぽりとアクセサリーが消えてしまいました。

その理由はなんだろう。

①飛鳥時代1

②飛鳥時代2

③飛鳥と奈良時代の染色

④平安時代

に分けてそれぞれの時代背景とアクセサリー事情を探ってみました。

そこには、国づくりに情熱を傾けた古代の人々と、外国の文化を捉えて消化していく姿が見えました。

目的:

歴史をたどることで、なぜアクセサリーは消えてしまったのか、を探る

なぞ:

日本はには昔から真珠の産地がある。使われていなかったのか。

仮説:

日本独自の文化がそれを必要としなくなった。時代背景と精神性が関係がありそう。時の政治との関係も背景のひとつ。

パールでたどる世界史、日本編 飛鳥②

(飛鳥①はこちらにあります)

https://veronic-pearls.com/jewelry-history/3505/

 

飛鳥①のつづき

大化の改新後のアクセサリー事情

 

アクセサリーが日本からある時期消えた。

それを探ろうと、あれこれ調べるうちに、

そこには民の心も一つにと、並々ならぬ思いで推進していく人々がいたことをリアルに感じられていきました。

同時に、それゆえにアクセサリーが消えることにもなったのかもしれない、島国だったことも要因の一つになったのかも。

そんなふうに思うようになりました。

さて、①は飛鳥での最初の革命で、最初の女性天皇の推古天皇が登場したことをお伝えしました。

今回は続きの②、後半の飛鳥時代です。

仏教伝来と共に、それまでの豪華な豪族の装飾品はだんだんと姿を消していくのでした。

②は、第二の革命から始まります。

再び横暴になった蘇我氏豪族を天皇系が討つ、乙巳の変が起こります。(いっしのへん)

 

律令制度への道のり

七世紀初め推古天皇も聖徳太子も亡くなられます。

混乱の世の中を鎮め、聖徳太子の遺志を継ぎ、再び天皇中心の律令国家にしようと行ったのが645年に起きた乙巳の変と、大化の改新。

これ以降、天皇を脅かす大豪族はいなくなりました。天皇中心の世の中へ移ります。

 

推古天皇の次の次、この革命は皇極天皇という女性天皇の時代に起こりました。

同時に日本初めての年号が登場。「大化」が始まります。

このあたり、社会の歴史の時間に習いました。

仏教伝来100年余り、独自に育まれて仏教文化となり日本由来の神道と共に豊かな文化を作っていきます。

大化の改新の事実上中心となった皇極天皇の息子、中大兄皇子は、改革を急ぎます。

のちの天智天皇ですが、朝鮮半島の百済を救うために当事の中国と戦いボロ負けしてしまう。

律令の内容も中々馴染まず、おまけに遷都も多く、民の負担が増し人心は離れていきます。

志し半ばで亡くなられます。

そのあと、弟の天武天皇の時代は聖徳太子、又、兄の遺志も継ぎ、天皇中心の律令国家を目指します。

天武天皇は稀代のカリスマ性をお持ちで、何かと揉める原因の豪族を重要ポストから締め出しても逆う者がいなかったとか。

「大和」から「日本」に名前を変えたのもこの方なのですね。

 

この頃の有名な詠姫に額田王という女性がいます。なぜ有名なのかは、天智天皇と天武天皇に愛された女性で、しかも巫女でありました。

天皇に仕え、気持ちを詠にして世間に発するというお役目だったのだそう。ある意味広報活動でしょうか。

 

天皇と民の心を一つにするという大役を負っていたそうです。

ここにも、力強い女性が登場しました。

 額田王 安田靫彦 画

装飾品、真珠に関すること

 

天武天皇の発した律令法で、真珠やアクセサリーに関係あるものがあります。

・勾玉は天皇のものであること。これまでは豪族はこぞってつけていましたがそれが限られた者のものとなったのです。

豪族は取り締られ権力としてのジュエリーは着ける必要がなくなったと言えます。

・薄葬令という、墓は身分に合うもので副葬品や死者の口に置く真珠を禁止する。これまで、豪族の古墳からたくさんの副葬品や真珠が出土しています。これも取りやめとなりました。

 

こうしたことから、もう飾ることが事実上できなくなったと言えるでしょう。

また、唐の文化に似せた(唐風文化)服装へと変化していきます。

天武天皇の死後、妻の持統天皇が次の天皇となり国づくりはだんだんと完成へと導かれます。

飛鳥時代は万葉集にあるように、たくさの詠が読まれました。中でも真珠の清らかさや美しさを女性に見立てた詠がたくさんあります。

ですので、人々は真珠を目にすれども、穴を開けてネックレスやイヤリング等としては使っていなかったのだと思うのです。

既に真珠もアクセサリーも大々的に姿が見えないのは飛鳥時代からです。

国づくりは、持統天皇が藤原京をつくり律令制度がほぼ終えていくことになります。

律令制度と衣服令

このあと、8世紀になると奈良時代が始まり、大宝律令はいよいよ完成します。

718年に発令された衣服令は、天皇、貴族の着る物が細かに決められてしまいます。

それがアクセサリーがなくなる決定打となったのではないかと思います。

次回は③の、奈良時代のアクセサリー事情について、です。

 

 

関連記事

①パールでたどる世界史【日本偏、飛鳥時代1】

③パールでたどる世界史【日本偏、飛鳥、奈良時代】

④パールでたどる世界史【日本偏、奈良〜平安時代】

 

 

 

 

 

 

 

One Thought on “ART& PEARLS/パールでたどる世界史:日本からアクセサリーが消えた理由②飛鳥2”

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