古民家で紫草の話しを聞く。

「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき

野守がみるや 君が手を振る」

紫草の生えた野を行き、標野を行きながら見張りが見やしないか、いや、見てしまうでしょう。あなたが袖を振るのを。

 

そんなうたを残した額田王は7世紀に天智天皇と天武天皇の時代の巫女。

強くしなやかな女性として憧れがあります。

このうたにある、紫草はこの時代から生えている野草で、根っこが染色の紫色になります。

でも、何度も染めないと濃い紫にはならず、なかなか手間のかかる紫、

今では絶滅危惧種となり、発芽も育成も難しいとのこと。

みたか紫草復活プロジェクトの方のお話しを伺いました。

 

消えたアクセサリーを調べるうちに、染色との関わりがとても深いとわかり、それでは一番古い色の紫の歴史を知りたくて参加しました。

古代から江戸時代までいつも一番高貴な色。

葉っぱの緑と白い可憐な花の根が、なぜ紫なのでしょう。

不思議でたまりません。

その昔、12月に取れる根を大勢の染色の関係者が大忙しで色を抽出していたのだろうなぁと、感慨深く思いました。

 

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